世界遺産能楽と能楽の街のべおかの“宝”の共演

 延岡は400年以上にわたる能楽の歴史があります。今に残る文献の中に歴代城主が城下町の住民のために毎年「神事能」として、春秋隔年交代しながら毎年1回開催していたとあります。私たちが言う「内藤家旧蔵の能面」がいま、延岡に在るのは、そうした歴史的な裏づけがあるからであり、私たちが平成の世になって「のべおか天下一薪能」を開催するのは歴史的な必然であると思っています。

 その当時の「神事能」は城主から借り受けた能面、装束を活用し、自ら延岡城下の人々が演じたとあります。それこそは、今の私たちには叶いませんが、どこかでその天下一の舞台に地域の人々の痕跡を残し、私たちが受け継いだ能の歴史を、未来に繋いで行くにはどうしたらよいか。その模索の中で、ふるさと延岡の次代を担う子供たちに薪能に参加させることで、私たちが叶わなかった夢を託したいと思いました。

 「鞍馬天狗」の花見の稚児役としてはじめて出演したのが平成14年(2002年)。人間国宝の九世片山九郎右衛門(当時)さんとの共演を果たしました。それから4年後、第10回の記念公演(平成18年・2006年)で「鞍馬天狗」の再演も成功し、まったく能に無縁な地方都市のこどもたちがプロの公演の中に入っても見劣りしないその力を発揮することを私たちは知りました。そうした地域の自信が子供たちに日本の伝統芸能である能楽文化を根付かせることをめざした「こども能プログラム」に発展しました。

 

 このプログラムは、プロの大人の公演に参加させるだけでなく、子どもたちだけで能を演じることを目標としたもので、平成19年(2007年)にスタートさせ、平成20年(2008)にはシテ、ツレ、地謡を子どもたちが務めた「舎利」公演を実施しました。こうした実績を踏まえて、本格的な「子方」として高度な演技力が求められる公演に出演することへの自信に繋がりました。

平成21年(2009年)の第13回公演では、「一角仙人」の龍神役として二人の子どもたちが出演することになりました。能の後半部分の重要な役どころとして、閉じ込められていた岩屋から飛び出し、シテの一角仙人と対峙し、刀を合わせるいわゆる“立ち回り”がある役どころでした。さらに平成22年(2010年)の第14回には子方でもさらにレベルが高い「海士」の房前大臣役として出演しました。最初から最後まで、ずっと舞台上で演じ続けなくてはならない重要な役どころです。派手な動きはなく、じっと座したまま1時間以上にわたり緊張が続きます。難しい節回しの謡によるいわゆるセリフの数も増え、それも物語の重要な場面です。観客の気持ちに添うように、亡き母との出逢いと愛の物語を演じました。平成23年(2011年の第15回では「桜川」の子方・桜児役で出演しました。

 

 平成24年(2012年)は、4月に福岡博多座での公演「鞍馬天狗」に出演、これは博多座からオファーがあり、十世片山九郎右衛門さん、狂言の野村萬斎さんとの共演を果たし、同じ年の第16回のべおか天下一薪能の「船弁慶」の公演でも義経役として重要な役どころを務め、嵐の海で襲い掛かる平知盛との一騎打ちを見事に演じあげました。

 平成25年(2013年)の第17回では延岡の子供たちから選ばれた子は、4年以上のキャリアを持ち、加えて公演のために京都に出向き、直接、京都市内の由緒ある能楽堂の舞台を使って研鑽に努めてまいりました。「国栖」の浄御原天皇の役として、十世片山九郎右衛門と共演しました。

 平成26年(2014年)第18回では、普通はない出番を片山九郎右衛門さんが特別演出という形で作ってくださいました。「猩々」で4人の延岡の子供たちが人間国宝・片山幽雪さんと舞いました。それが幽雪さんにとって延岡での最後の舞台になったことは、感慨深いものがあります。さらに前年に引き続き能楽子供教室の子供たち全員にも登場の場を作っていただきました。 

 最初に“子方ありき”という考えには賛否両論があるのだと思います。しかし、私たちは今、延岡の街に再び根付き始めた能楽の文化を次の世代に受け継いでいくという想いがあります。そのためには、思いに応えてくれる子供たちの存在が必要であり今、あらたな伝統となって子供たちのなかで引き継がれているような気がします。

 平成27年(2015年)の第19回もまた「春日龍神」へ出演しました。そして平成28年(2016年)の第20回の公演では仕舞3曲を舞いました。一昨年、昨年も同様仕舞を舞いました。今年も2曲の仕舞と、「海士」の子方出演を予定し稽古が始まったところです。これで11年連続13回目の共演であり、単独子供能公演を加えると14回となります。「世界文化遺産・能楽界の至宝」と「能楽の街延岡の宝」である子どもたちの共演を、またお楽しみください。